納山会は六甲歴史探訪
~六甲登山架空索道の支柱跡と廃れた新アイスロードをめぐる~
2021年12月19日
ロッコペリが所轄している有志の会「ROKKO IBEX:六甲アイベックス」。本日は2021年の納山会として、過去にロッコペリが探索した六甲登山架空索道(ロープウェイ)の痕跡と廃道となった新アイスロードの歴史探訪で締めくくることにした。
メンバーの体調不良や急用などで、当日の参加者はロッコペリを含め3名での山行になった。
新アイスロードでは記憶に頼った探索の結果、途中ルートをロストする失態をしでかしてしまったが、まあそれもご愛敬。在りし日の歴史街道を巡ることができて満足いただけたようだ。
過去の探索の記録は、以下のリンクを参照頂きたい。
六甲登山架空索道と新アイスロードの概念図はこちら。
- 緑色点線・・・六甲登山架空索道(ロープウェイ)のルート
- 水色破線・・旧アイスロード(現在の登山道)
- 黄色破線・・新アイスロード(赤い部分は未発見)
阪急六甲9時集合、歩いて六甲ケーブル下までやって来た。歩く速度や人数に関係なく、ほぼ30分で到着するいつもの不思議。ここから、アイスロード(旧)の入り口に向かってさらに歩いていく。
途中の弁天滝をのぞき込みながら、少し気が早いが来夏の六甲川から真水谷、堡塁岩への遡行計画を練っている。
青空に映える新六甲大橋を過ぎ、大橋下の交差点にくると大阪から来られたパーティーに山羊戸渡への道を聞かれる。表六甲ドライブウェイの「0.0」標識が「0.8」になる地点が、進入ポイントとお伝えする。
アイスロードのカーブミラーでの集合写真に、そのパーティーが写っている。
同行のHさんが、六甲登山架空索道の登山口駅の場所を知らないというので案内することに。なんのことはない、最近この周辺が整備されたので、アイスロード入り口から右手すぐにその遺構はある。
100年近く風雨にさらされても、コンクリ建築はまだまだしっかりとしている。プラットフォームに上がり、今はドライブウェイで分断されているが、当時見えていたであろう山上駅方面を望む。
プラットフォームを反時計回りに進むと、ロープに張力を与えていた錘を収めていた竪坑がぽっかりと口を開けている。ご覧の通り、水が溜まっていて出口はない。単独の場合、転落=死を意味している。
誰でもが近づけるために、注意喚起と安全対策が急務と思われる。実は、プラットフォーム上にも同じような竪坑がある。こちらに水はないが、罠にかかった獣同様に人が通らない限り生存は絶望的だ。
※探索は自己責任、くれぐれも転落に注意すること!!
さらに回り込んで機械室があった区画に進んで行く。内部は梅雨時期でもカラカラに乾燥していて、火掻き棒など浮浪者がしばらく住んでいた形跡がある。
古い写真に見られる、切符売り場周辺を探索する。繁忙期はここで4時間も待ったようだが、プラットフォームへの階段(今は朽ちて無い)を上りながら、「もうすぐ自分の番だ」と、目の前を行き来するゴンドラに胸を躍らせたのだろう。
すっかり間伐が進んで、鬱蒼としたアイスロードがむき出しになって明るい登山道になっている。
これも災害に強い六甲山を作る事業の一つなんだろう。以前、間伐に関してのブログを書いたが、林野庁にもその効用が紹介されている。
ドライブウェイの下を通るトンネルは、いつもタイムトンネルに思えてしまう。ということで、過去へ戻っていこう。
アイスロードを歩く、誰もが目にする第一支柱跡。その先には第二支柱跡のある切り通しがすでに見えている。
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