観音寺谷をつめる

元は8段ほどあった階段のようだが今は3段、それも歯抜けの状態でなんとか形をとどめている。登られるか確かめると、意外にも頑丈で体重をかけてもびくともしない。おかげですんなりと3段目に行くことができた。

三段目のお店はご覧の有様。看板かと思いめくってみると軒先のトタン屋根のようだった。特に収穫もないので4段目にいってみよう。

4段目にあがる途中、水を貯めた水槽らしき構造物があった。その先には、虹の駅から見えるコンクリの基礎が見えていた。

4段目は低いフェンスをまたいで進んでいく。すぐにコンクリ製のごみ箱と小さなタンクのある装置が転がっていた。このごみ箱はロッコペリの田舎には普通にあった代物。上面には上蓋があり、手前は差しこまれた板があった。

4段目は敷地も広く、2軒のお店があったようだ。

奥の廃墟には懐かしい形の吊り下げ式の照明器具があった。銘版の(株)光電機製作所は現存する会社。技適マークの▽に〒は昭和43年~平成7年まで使用されたもの。レトロ感あるプラグもいい雰囲気だ。天上寺の消失を考えると40年ほど前のものか。

奥の店舗の南側には、風景を楽しんだであろうベンチが一脚あった。当時はこんな樹は生えてなく、さぞや見晴らしがよかったのだろう。

ベンチのすぐ横には、四つ足の金具がガッチリ地面に固定されていた。おそらく電灯のポールを立てていたのだろう。灯りの下で、ベンチに座って夜景を楽しんだのだろうか?

他にも、ひっくり返ってはいるがこれもコンクリ製の流し台だ。そばに水道管がある。シンクにタイルが貼ってあれば完璧なんだけどね。

4段目を東に進むと、「高尾大明神」の鳥居前にでた。再び戻って、正面の小高くなった5段目に進んでみる。

5段目のお店は、ほぼ原形をとどめていない。かわりにビール瓶が大量に散乱していた。ここは居酒屋的なお店だったのだろうか、痕跡を探してみる。

土の中にちりとりが埋まっていた。鋼板に粉体塗装されたものなので腐食には強い。現役でつかえそうだ。すぐそばのベンチの背板を見てみると、かすかに「キリンビール」と書かれているのがわかる。転がっていたビール瓶を見ると「SUNTORY」だ。これで「サッポロ」があればいいのにな。

摩耶花壇のところは「アサヒビール」なので、当時のビールメーカーの勢力争いが見て取れる。

5段目をトラバース気味に進むと、摩耶花壇の奥にある小屋にでる。そのままジグザグに上に上がると6段目の広場(隠れピーク)に出る。

広場をそのまま進むと、摩耶花壇の裏手にでる。ほぼ復元は終わったのか、いつもいるおじいさんたちは見当たらない。地下にも寄って見ようと思ったが、前にも何度か来ているのでやめておこう。

ついでに、道を挟んで並んでいたお店の基礎部分にも寄ってみた。昔のコンクリはかなり丈夫だ。

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