聖谷をつめ青谷道へ

堰堤内は、穏やかな藪が続く展開。さっきの激登りがうそのよう。

しばらく進んで二俣。地形図でもはっきりわかる地点。左俣に進むが、倒木だらけで魅力的には見えない。

穏やかな傾斜を登っていくと前方にスカイラインが見えてくる。まだ道半ばの地点だが、なんだもう終わりかと思わせる風景。実際は難所がまだまだ続く・・。ここも、巻けばいいものを直登したのでえらい目にあった。

両岸ツルツルのクラック(オフウィドゥス)地点にきた。挟まった倒木を利用してクリアする。倒木がないとてこずりそうな地点だ。

しばらく進むと、なんともイヤらしい傾斜の付いたチムニーに行き当たる。ここもツルツルで、チムニー登りで挑むも3回滑落。高さはさほどないのでケガはしないが、落ち葉の下は水たまりになっている。4回目になんとかクリア、無駄に体力を消耗した。

その先、小ぶりの谷止め1があった。手前に水平路らしい踏み跡が東西に延びている。後は倒木を避けながら、役目を終えた石積みを3つ越えていく。

進んですぐ、水流さえあれば良い滝だろうに・・そんなことを考えながら壁をよじ登っていく。お助けロープは使わなくても大丈夫。

Muscleさんの記事にもあった、ラジカセの残骸。流されずに、まだあったんだ!溜まった落ち葉をよけながら滝口によじ登る。

しばらくは、緩やかな傾斜の開けた谷を進んでいく。

その先で谷中央に赤杭が打ち込まれていた。ここにも東西を結ぶ水平路らしき踏み跡がある。

下を見ながら登っていると面白い模様の石があった。どうみても「大分県」だ。国東半島や別府湾まである。ひょっとしたら、化石なのかもしれないがよくわからない。

またまたチムニー上のクラックがあった。ここは右岸側の段差を利用して登る。

コメント

  1. 山本 より:

    神戸一中が県一高女と統合して神戸高校になったのは学制改革後の昭和23年のことなので、昭和13年に現在地に移転してから10年間は「一中」でした。
    記事中に「一中と呼ばれていたのは明治40年頃のお話」とありましたが、全国高校サッカーの歴代優勝校を見てください。神戸一中は大正・昭和に7回全国優勝していますよ。

    • rokkopelli より:

      山本様

      貴重なご意見ありがとうございます。
      全くもっておっしゃる通りです。当方神戸の歴史についてはまだまだ素人なため、Wikipediaの情報をそのまま載せてしまいました。

      そこには、統一する前の明治40年には”以降「一中」とも通称されるようになる。”との文言があったため引用いたしました。
      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E7%A5%9E%E6%88%B8%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1

      そうなると「一中西尾根」となるのは、当然昭和13年からになりますね。早速訂正させていただきます。
      山本様はサッカーにも明るいのでしょうか、神戸高校の優勝回数は素晴らしいものがありますね。
      先日の観音寺谷探索の折には、ラグビーの試合が行われており文武両道の伝統校の風格を感じ取った次第です。

      山本様には、これからも忌憚のない意見をいただければ幸いですので、どうそよろしくお願いいたします。
      ありがとうございました。