六甲登山架空索道をアイスロードに訪ねる
~大戦末期に不遇の運命をたどったロープウェイ駅の痕跡を探索する~
2016年2月7日
戦前の六甲山には、六甲山ケーブル、六甲山登山ロープウェイ(架空索道)、摩耶ケーブルが存在し山も大賑わいだったようだ。しかし、戦争末期になると鉄不足から当然これら施設も不要不急と目を付けられ、手っ取り早く撤去可能な六甲登山ロープウェイが昭和19年に取り壊された。
幸運にも六甲登山ロープウェイ撤去直後に終戦となったため、他の2ケーブルは現在まで残ることができた。現在、六甲登山ロープウェイの痕跡はアイスロード入口と1号支柱の土台、山上駅への月見橋のみとなってる。
アイスロード入口にひっそりと佇む登山口駅の痕跡は、往時を偲ばせるプラットホームだけが山上に向って、その存在を示している。痕跡の周辺は老朽化と荒廃がすすみ、注意しないとかなり危険な場所もある。
特に、縦穴には出口が無い。升状の深さ10メートルの奈落の底に雨水が溜まっており、単独で落下した場合は「死を覚悟」する事になる。また縦穴周辺には防護柵などは無く、堆積物で足場がもろくなっている。
登山口駅の痕跡を一周すると、当時、たくさんの人がここから六甲山に上った事がうかがい知れる。70年たっても戦前のコンクリート建造物は朽ちかけているとはいえ、かなり頑丈に作られている。
登山口駅の痕跡を後にしてアイスロードに向うと、4号まであった支柱の一つ、1号支柱の土台跡がある。支柱の探索の様子は「幻の六甲登山架空索道」で紹介している。
さらに進んで、大きな堰堤を2つ越えたころで、前ヶ辻のツメ部を見上げると山上駅に掛る月見橋が辛うじて見える。
元々、山上駅があった駅舎の上に六甲山ホテルの管理事務所(空き家)が建っている。郵便局まわりを丹念に、探索すると月見橋もしっかり残っているのが確認できる。
【警告!】今回は、六甲山の歴史をとどめるために記録を残すもので、この記録を読んで行かれる方はあくまでも自己責任でお願いしたい。万一事故があっても、当方は一切の責任を負わない。
寒いとどうも行動が鈍くなる。時間は9時30分、初見のエリアを探索するには遅い出発だ。
阪急六甲から、30分ほどでケーブル下駅に到着する。ここを左折し六甲川沿いに旧道を進んいく。
途中左手から、滝の音が聞こえてきたら弁天滝が見えくる。
新六甲大橋をくぐり、その先の交差点でヒツジの歓迎を受ける。交差点を北進し表六甲DWへ進む。
交差点から50m程進むと、川を挟んで東側に旧六甲登山ロープウェイのプラットフォームが木立ち越しに見えてくる。
表六甲DWの最初のカーブの先からアイスロードが始まる。入ってすぐに小さな橋を越える。先行者は1人のようだ。
これ以降、廃墟の写真と開業当時の写真を見比べると、雰囲気が分かりやすいと思う。当時は相当な賑わいで、乗車するのに何時間も待ったようだ。
旧六甲登山ロープウェイは、山上駅(現在の六甲山郵便局裏)から、中央の山を2ヶ所削り一直線で登山口(アイスロード入口)までを結んでいる。その距離は1567m、高低差413mを運行していた。
橋を渡ってすぐ右手にプラットフォームが見えてくる。
プラットホームをしたから見上げる。75年を経てもコンクリートの構造体はしっかりしていて風雪に耐えている。まずはプラットフォームの左から巻いていく。
プラットホームの上に出てみる。ワゴンが収まっていたところは、落ち葉や堆積物で埋め尽くされている。こういった歴史的建造物を、きちんと保護することは出来ないのだろうか。
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