六甲登山架空索道

ここまで来て、出口(入口)が封鎖されたいた。仕方がないので右の柵を回り込んで脱出した。

別荘地のあたりは、花が咲いたような雪景色に。恐らく霧氷だろう。

六甲山ホテルの旧館。昨年末で閉館だそうで残念!日本は文化・芸術に関しての保全保護は後進国。

まるで北国に来たかのように、記念碑台は霧氷だらけで面白い!まさかこんな光景が見られるなんて思いもよらなかった。

正午だが、記念碑台の気温は0度。どうりで霧氷が見られたわけだ。

出典:祖父の見た六甲山 文字は後入れ

当時、記念碑台から撮られたとおぼしき写真。今は樹木が育って見ることは出来ない。

記念碑台を後にして、山上駅の痕跡を探す。現在、月見橋は道路から分断されていて渡れないが、六甲山郵便局の東側のガードレール付近からのぞくことができる。

六甲山郵便局の東、ゴミステーション辺りから見ると全体が見渡せる。

六甲山ホテルの従業員休憩所(現在は未使用)の脇を抜けると月見橋の反対を見ることができる。つまりこの休憩所は、当時の山上駅だった上に建っていることになる。

月見橋付近からの眺め。終戦間際の戦況悪化の中、当時の人はどんな風景を見ていたのだろうか。

その後、西六甲ドライブウェイを西に向い掬星台を目指す。掬星台では青空が広がっていた。

掬星台からは、上野道、青谷道、旧摩耶道と継いで歩き、途中吹雪に合いながらも無事に雷聲寺に下山した。

布引中学の横を下り、「こうじばし」を渡る途中、運よく下りの新幹線を撮影できた。
反省会に三ノ宮まで歩いて向かう。


【参考資料】
●六甲山架空索道
https://morichi.jp/sofu_mita_rokko/

●ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E7%94%B2%E5%B1%B1#.E6.88.A6.E4.B8.AD.E3.83.BB.E6.88.A6.E5.BE.8C

●いそしずブログ
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