今月の山仕事は「巻き枯らし」と「間伐」
~近代の植林と自然災害の問題を林業のプロから教わる~
2021年5月16日
今月の山仕事では、ヒノキの間伐の作業の準備を行った。
間伐の準備として「巻き枯らし」と呼ばれる方法で処理をしていく。これは、通常の環状剥離をさらに樹皮を出来るだけはがして立ち枯れさせていく方法。
簡単に説明すると、植物の栄養分や水分が通行する形成層まではがすことで、立ったまま樹を乾燥させることができるというもの。動物でいう血管の働きをするものは、植物ではこの形成層にあたる。
この形成層まで、ぐるりとチェーンソーなどで切り込みを入れ樹液の流れを遮断していく。その後は縦にナタ目を入れ、下から上に向かって一気にはがしていく。樹皮をはがすとツルツルの木質部が現れるが、表面が水分でびっしょりと濡れているのには感心した。
この巻き枯らしの注意点として、弱ったり枯れた樹を好むキバチという穿孔虫の存在だ。樹皮をはがされた樹はキバチにとって格好の住みかとなる。なので、周辺の山林を調査してキバチが生息していないことを確認してからの処置になる。そうしないと、大量のキバチが発生し周辺の山林に被害が出ることになる。
処理は約50本を目標に行った。乾燥後の伐採は1年半~2年後の予定、山仕事はとにかく時間が長くかかる。
作業の途中、林業のプロから現在の林業を取り巻く色々な話を聞くことができ大変参考になった。
中でも、防災と近代林業の関係は得心の行くものであり、現在六甲山で行われている間伐や伐採が、自然の力を利用した防災に強い山づくりを目指していることがよくわかった。
六甲山は、昔の写真を見ると真砂土のはげ山だった。この六甲山はもちろん、明治・昭和初期から全国で行われた植林は、経済性優先・早期植生回復(防災)で樹の促成栽培を促す方法がとられた。
その結果、土砂崩れや土石流など本来土留めの役割を果たすべき森林の樹木が、表土ごと流される大災害が全国で発生することになった。
写真は2017年の台風当たり年、特に7月の台風5号による記録的長寿の大雨で全国的に被害が起きた時のもの。
台風などで倒れた樹を見ると、どの倒木も根が浅く広がり表土に乗っていただけと分かる。
これは苗木を植える際「根切り」処理をして、樹にとって地中深く根を伸ばすべき「直根」を切ってしまう方法が主流だったから。直根を切って側根だけにしたほうが、栄養吸収が早く樹は早く育つ。結果、樹としては側根は表土に広がるだけで、地中深く根を伸ばすさない状態になる。
イラストはイメージではあるが実際に天然の森林では、大雨が降って表土が洗い流されても直根が地中深く根を伸ばしているので倒木はしない。逆にガッチリと地盤を保持し土石流を防いでいる。
さらに、林業の立場からの説明にも考えさせられるものがあった。
これまで、建築資材を産出するための林業であったが、やはり樹を育てるのに時間がかかる。高度成長期以降は、住宅建材の需要増にともない海外産の安い材木が大量に輸入され価格破壊が進んでしまった。
結果、林業としての商いが成り立たなくなり、日本の林業は衰退し山林が管理されず放置された山が多く生まれることになった。
人の手が入り、間伐や枝打ちをしっかり行っている森林は、地面まで光が届き樹木もしっかりと光合成を行い木質も密に太ることが出来る。
逆に、放置された山林の木々は密集し、光合成の光を求めて上へ上へと延びていくので、樹は太らずひょろ長くなってしまう。木質は粗く材木としての価値も下がるばかりか、少しの風でも折れるという悲惨な結果となってしまう。
実際、神社などの修復に使うヒノキは人工林ではなく、自然林のものしか使えないと聞く。
昔、姫路城の修復に立ち会った棟梁の話を聞いたことがある。彼曰く「700年生きた樹は、伐採されれてからも700年生きる」と。
過去に因を求めるのは酷だが、毎年のように発生する大規模災害は、自然をコントロールしようとした人間のエゴが生み出した人災とは言えないだろうか?
このような反省に立ち、六甲山を含め全国では100年、200年先を見据えて、自然林と同じ方法での植林作業を行ってる。しっかりと根付いた木々の森は、天然の防災林となって山を豊かにし街を守ってくれるからだ。
近代林業も、生産一辺倒から国土防災への大きなかじ取りを行ない、なくてはならない存在になっている。
コンクリートの堰堤を作ることから、防災に強い森を作り国土を守ることへの転換は今まさに行われようとしているのだ。
遠い未来で見ることは叶わないが、本来の緑の森に覆われた六甲山を想像するだけでもワクワクしてしまうのはロッコペリだけだろうか。
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