山寺尾根支尾根にある岩ヂャレにつめる
~岩ヂャレの東に延びるガレと岩稜の険しいルンゼを登りつめる~
2018年4月1日
山寺尾根周辺や東谷周辺で、以前から気になっていた無名の谷筋やルンゼをまとめて徘徊する。
無名ゆえ便宜上、「岩ヂャレ東ルンゼ」とか「摩耶東谷ルンゼ」「マヤカン尾根」などど私称しているので、地図と見比べてご理解いただければと思う。
特に岩ヂャレ東ルンゼは、その名の通りガレの発生源で終始落石に注意が必要、足元は浮石だらけで一部大きく岩板が剥がれたりと気が抜けない登りとなった。
※記事のなかで、摩耶東谷にイノシシの死骸の画像が含まれているので閲覧注意。
私称だらけの地図で申し訳ないが、説明がやりづらいので我慢して頂きたい。ついでに古い地図ものせておいた。岩ヂャレは当時から表記されているのが分かる。
のっけから余談になるが、この古い地図(六甲山系が含まれる)は、眺めているだけでお酒がすすんでしまう代物。
例えば、ご存じの方も多いと思うが、掬星台は元々存在しなくて小山が2つあるのみだった。先の大戦時、軍部が高射砲陣地として削った跡地がその始まり。今のドライブウェイも軍用道路といったところか。青谷の旧摩耶道に残る高射砲陣地などは、物資の補給が至難の業だったらしい。
とにかく、意外なところに火葬場や仙人窟があったり、バリルート行計画の薬味として古地図は使えるのだ。
春本番、取りつきまではお花見気分で進んで行く。山麓線を走るバスの運転手も、この時期だけは最高なんだろうと思う。護国神社では春の宴、灘丸山公園から登山口まで華やかな桜の道が楽しめる。
こんな日は、バリエーションやめて公園の芝生で花見で一杯とやりたいところだ。
いつものルーチンワーク。「カンガルーの木」に挨拶をして、今日の山行をスタートする。
杣谷道を進んで、左岸に岩ヶ谷の阪田岩と摩耶第五堰堤が見える辺り、分かりにくいが右岸に小さなケルンがある。ここが山寺尾根支尾根の取付きになる。登りつめると、山寺尾根の下山時に道迷いポイントとして有名な肩の部分に出る。
摩耶第二砂防堰堤は、徒渉し越えてからの鉄製堰堤が嫌なので、そのまま右岸を巻いていく。
ヤシャブシの咲く副堰堤には、結構な水が溜まっている。左上には黒パイプがあり、たたくと乾いた音が・・水はもう通っていないようだ。主堰堤を目指し斜面をトラバースする。
右岸天端から下を見ると、意外にも4mほどの高さがある。飛び降りるわけにもいかないので、フーチングを一段降りてみる。それでも、まだ2~3mほどの高さがある。
まさかここで詰まってしまうとは・・戻るに戻れないし、スリング類は持っていない。困った。
眼下の立ち木を目指し、壁にへばりつくように下っていく。
たかが天端から降りるだけなのに、10分近くもかかってしまった。降り立った足元のぬかるみには、くっきりとアライグマの足跡が残っていた。
住吉方面では最近よく姿を目撃されるようだが、とうとう杣谷にも進出してきたということか。アライグマは気性があらく、害獣としての駆除対象動物となっている。タヌキなどの生態系を壊し、農作物への影響は計り知れない。
こんな事なら素直に鉄製堰堤を使って堰堤内に下ればよかった。
堰堤内を進むと、いまや上流でランドマークになっている廃バイクのタイヤが転がっていた。ほんの少しだけ遡行し、杣谷の無名滝の下流、左岸⇔右岸へ徒渉する地点へ向かう。
徒渉地点にある標柱の奥から西へ伸びるルンゼが、岩ヂャレ東ルンゼ(私称)だ。取付くといきなり二俣なので、ガレが流れる右俣に進んで行く。
いきなりのガレの急登が始まり、このルンゼの上流がガレの発生源ということがよくわかる。昔は役に立っていたであろうトラロープも、今ではガレに飲み込まれゴミ同然になっている。
進んですぐ、正面いっぱいの岩壁が現れたので、流れにそって左から巻いていく。更にガレは続き、複数人だと後続への落石が確実となるだろう。
二足歩行が出来なくなったので、四つ這い移動で登っていく。このルンゼは、少なくとも昔は一定数の人が入っていたのか、ロープを飲み込んだ木がその様子を教えてくれる。
荒々しい岩稜地帯が現れ、さらに斜度が増してくる。点々と転がる石が、いつ落ちてきてもおかしくないので、一歩づつ注意しながら登っていく。
やがて、ガレからふかふかの堆積物で覆われた斜面を登っていくも、二歩進んで三歩下がる展開。滑落の恐怖と、無駄に体力を持っていかれる。
コメント