プラットホームの後ろに、ケーブルに張力を与える重りを懸垂していた縦穴が、ポッカリと口を空けている。
深さは10mくらいだろうか。どこにも手がかりが無く柵も無いので、単独で落ちると絶望しかない。
さらに縦穴の裏に回り込んでいく。そこには大きな空間が広がっていた。
人が生活をしていたような跡がある。恐らく浮浪者だろう。風雨を避けるにはもってこいのようだ。その証拠に、歩くと塵が舞い上がるくらいに、地面の土はカラカラに乾燥している。
向って右の壁が先ほどの縦穴になる。どうやらここはロープウェイを運行するための機械室のようだ。
この扉は当時のものだと思う。乾燥しているので朽ちずに残ったようだ。
マヤカンと比べても、かなりしっかりとしたコンクリート躯体のようだ。これだけ風雨にさらされても、一部モルタルの剥がれはあるが朽ちる様子が無い。
もう一方の縦穴は、スロープがついているので底まで降りて行ける。こういうところまで、タイヤを担いで来て不法投棄するのもある意味凄いと思う。
当時、改札や売店があった辺り。相当な混雑だったのが見えるようだ。
当時の写真から、どうやらここが入場口のようだ。カーブしたエントランス構造が特徴。
ここから、プラットホームを見上げながら入口に並んだのだろう。行きかうワゴンを見ながら、当時は4時間待ちになったこともあるようだ。
名残惜しいが、六甲登山ロープウエイの廃墟を後にしてアイスロードに向う。
直ぐの石段は当時から在ったものなのだろうか、色々と気になって仕方がない。
ドライブウェイの下を通過するトンネル。
このトンネルだけは、微妙な傾斜がそうさせるのか、抜けると違う世界に通じているんじゃないかといつも思ってしまう。ロッコペリにとってはトワイライトゾーンなのだ。
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