六甲ケーブル すれ違いの不思議はここにある

【六甲ケーブルのしみず駅(中間駅)の謎】

六甲ケーブルが中間ですれ違うところに、プラットホーム(写真は現在のしみず駅跡)のなごりを見ることができる。古い資料をみると「しみず」と書かれた駅がそれだ。

現在では、ただの交互通行のための通過点で降り立つ事は出来ない。この「しみず駅」で下車して一ヶ谷西尾根を越え、アイスロードに抜けていたのなら、きっと当時の道があるのに違いないと近いうちに廃道探索を考えていた。実際に、ネット上でも多くの方がその連絡路の痕跡を探すべく探索に出かけている。

そんな折、知人から昭和7年開業当初は、車両は1連2車分離4車交走式(現在は1連2車連結4車交走式)で、まさに「しみず駅」で上り下りの乗り換えを行っていたとの事。つまり、しみず駅からどこかに道が付いているのではなく、ただ乗り換えるためだけの駅の役割をする駅であったことが分かった。

したがって、現在はしみず駅跡で車両がすれ違うが、過去にはケーブル山上駅↔しみず駅、しみず駅↔ケーブル下駅の間でもすれ違っていた。先頭車両に乗り、線路をよく見るとそれぞれの地点で特徴のある痕跡が確認できる。

また、資料によると昭和13年の阪神大水害の直後今のような2車連結となったようだが、六甲ケーブルのHPでは昭和34年からとある。この辺りも、新たな課題として調べなければならないようだ。

※1連2車分離4車交走式のイメージ。実際のしみず駅では車両は縦列に並ぶ。

いずれにせよ、長年懸案だった「しみず駅」の謎が解けたのが嬉しい。

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