丹生山で未確認の岩塔探し

周辺を探索していると、ほうきやデッキブラシ、スコップなどの清掃道具が岩窟に隠されていた。目的は分からないが、木を切っていたり踏み跡があったりと、一定数の人が入っているのは確かだ。

H氏が安全確保のロープを準備している間に、ロッコペリが先行して基部への巻き道を空身で見に行くことにした。この時に滑落事故を起こしてしまった。一瞬の油断と慢心が招いた事故だった。

そうとは知らないH氏とUさんは岩窟や岩塔の探索を行っていた。次回は、この大きな岩窟をぜひ見てみたいと思う。

岩塔の基部を回り込み、南東壁面の藪を登り後衛の頭に登って来た。H氏いわく「六甲山系が途切れることなく見渡せるポイントはそうそう無い、いい場所が見つかった」と、とても喜んでいた。

写真には、不安げに見上げるラムちゃんの姿が見える。

尾根に巻き上がって、改めて下降路の確認を行う。岩塔への最短ルートは、この木から南東へ進むことになる。

元来た道を進むが、反対から見るとまるで違った道に見える。「こんなところ通ったっけ?」とH氏、ラムちゃんは余裕でついてくる。

ロッコペリは、新しい道を歩く際は常に後ろを振り返るようにしている。万一の道迷いの時でも、風景の特徴を覚えているだけで安心感が違うからだ。

一般路に復帰してからの、丹生神社までが地味にきつい。膝の主な靭帯の損傷は免れたようで、まっすぐ進む分には跛行しながらでもしっかりと登っていける。とにかくこういった場合、下山するまでは動かし続けていないとすぐに動けなくなる。明日が怖い・・。

鳥居の先は、土俵のある社務所とさらに登って拝殿と本殿がある。この土俵は5月5日に奉納子供相撲が行われる土俵である。遅くなったが、眼下の景色を堪能しながら拝殿脇にて昼食を摂る。

下山は、H氏やJ氏、そしてUさん達が廃道同然のシダに覆われたコースを地道に整備して復活させた、コウモリ谷東尾根を案内していただくことになった。取付きは本殿裏から。整備の苦労は良く知っているだけに、本当に頭が下がる思いだ。

今では、衝原湖への恰好のルートとなり、踏み跡もしっかりとし多くの人が利用するようになっている。

途中、ロープ場などを通りながら快適に下ってくると、シダを刈りこんだ展望場所まで用意されていた。当事者同士の会話にも苦労がしのばれる。足元ではラムちゃんが「喜びの舞」を披露してくれた。

鮮やかな桃色のコバノミツバツツジが咲いている丘からは、衝原湖畔のサイクリングターミナルが見下ろせた。サイクリングロードまであと少し、ややザレたルートを慎重に下っていく。

サイクリングロードまであと少しというところで、大規模な炭焼き跡があった。当時の人々の生活が垣間見えたようだ。

炭焼き跡から下山口はすぐのところ、振り返りとりあえずホッとする。さて、これから湖畔の桜を見ながら花見の宴を行う予定。そのために、損傷した脚もなんのその、重いクーラーバッグを担いできたのだから。

ここで、H氏が「BE KOBEのモニュメントを見せたげる」との話になり、1kmほどのサイクリングロードを歩いていく。

期待していた湖畔の桜は、見事に一輪も咲いてなくモニュメントで相談した結果、来た道を戻りサイクリングターミナル周辺で反省会をすることになった。一気にクーラーバッグが重くなった瞬間だ。

そんな状況を知ってか知らずか、近くで山行をしていたJ氏が車で駆けつけてくれ、「うちの庭で花見をどうぞ」との嬉しい申し出までしていただいた。J氏の家のお庭にはなんと一輪の桜が咲いており、これで花見の大義名分が立った。

暗くなってからも、ヘッデンで即席ランタンを作り宴は夜遅くまで続いた。もうこの時点で、膝下に熱が溜まり、足が倍くらいに腫れているのがズボンの上からでも分かるようになっていた。

さらに懸垂跛行も始まり、すずらん台駅から自宅までの移動が、一日の山行よりも長く感じたのは言うまでもない。

合計距離: 13.18 km
最高点の標高: 492 m
最低点の標高: 143 m
累積標高(上り): 1863 m
累積標高(下り): -1876 m
総所要時間: 07:21:49
Download file: 20220327_丹生山岩塔.gpx

-転落事故顛末記-  【自戒を込めて】

それは一瞬だった。

落ち葉の堆積する急斜面ではあるが、踏み幅は20cm、鼻先の立ち木まで距離にして1.5mほどの簡単トラバースのはずだった。ここに、基本の三点支持を忘れ、慣れと慢心が軽率な行動をとらせた。

立ち木を目標に、手を伸ばしながら軽く飛び移った瞬間、着地した落ち葉の下には地面は無く、伸ばした手は空をつかみ、背中からのけぞるように滑落した。後転しながら、1回目の回転で加速がつき、跳ねながら落ちていくのが分かった。「止まらない!!」と、一瞬だけ空が見えたが、2回目、3回目・・と転がり、あとの記憶は無い。

時間にして5、6秒程度か・・「死ぬかも」とは思わなかったが、頭だけは守らねばと左腕で頭を抱えるようにした瞬間、右の後頭部と肩を立ち木に激突させて滑落は止まった。その瞬間は、火花がでたような感じではなく、朽ち木かコルクボードに打つ付けたような感覚だった。もし、これが岩ならぱっくりと割れていただろう。

見上げると基部ははるか遠くにあり、落差は約15m、距離は20~30mの距離を落ちたのが分かった。

すぐに全身のバイタルチェックを行っていく。頭部は3横指(5cm)程のこぶが出来ているが出血はない。全身に打撲痛はあるが我慢できないほどではない。首は当然、軽いむち打ち状態だが、両手指も動く、右足も感覚している。深呼吸しても肋骨に痛みはなく、関節に捻挫らしき部分もない。

ただ、左足だけが膝から下の感覚が無い。膝は嵌合が外れたようにガクガクになっている。「まさか膝関節脱臼か?」と、両手で左ももを保持すると正常に可動する。ブヨブヨと腫れ始めた筋肉の下の骨際をたどり、脛骨と腓骨の骨折も無いことを確認した。

結果、右側の後頭部、腕、肩甲骨から腰にかけての打撲と擦過、左側は脛骨前面の筋肉と趾伸筋、内もも筋肉の挫傷と判断。膝の内外前後の靭帯に損傷が無いのが奇跡だった。

受傷後の経過としては、翌日挫傷した筋肉が腫れあがり、2日目には筋肉の損傷時に発生する発痛物質が、なんの問題もなかった拇趾の付け根に下って溜まり、夜も眠れないくらいの疼痛に苦しんだ。

翌日の全身発熱もなく、コンパートメント症候群の気配もないので、痛み止めは飲まず気休めにシップと塗り薬で経過を見ることに。

1週間ほどで8割ほどまで急速に快復、まだ腫れと痛みはあるが、リハビリをかねての木ノ袋谷本谷の山行にはロキソニン頼りとなった。

2週間後になると、腫れも少し残り、まだ膝を完全に伸ばしたり高い段差を下ることはできないが、歩行時初動での痛みはあるものの、それもすぐに消えるまでに快復した。なので、ロキソニンには頼らず西滝ヶ谷~水晶谷への山行も無事に終えることが出来た。

ただ、少々無理をしたのでこのブログを書いている現在も、拇趾の付け根の時々襲ってくる疼痛に苦しんでいる。

思えば、若いころに自転車の競技で鍛えまくった脚や背中の筋肉は健在で、プロテクターの役目を果たし骨折を防いでくれたのは幸いだった。

繰り返しになるが、今回の滑落事故は完全に防ぐことが出来たはずのもの。単にロッコペリの慢心と驕り、油断と甘えからくる軽率な行動が招いた結果なのだ。

山の神の戒めなのか、はたまた延命地蔵尊のご利益なのか、幸いにも無事にこうして生きている。

読者におかれても、グループでの山行であっても、事故から身を守るのは自分自身ということを忘れないで頂きたい。

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