聖谷をつめ青谷道へ

再びスカイラインが近くなってきた。そろそろ詰めあがる地点、傾斜が強くなってきた。

今にも崩落しそうな、ゴルジュっぽいところを急いで抜ける。その先、右岸にお助けロープがあるが、谷筋はまだこの先に続く。

落ち葉がギッシリ詰まった先に、2mほどの段差がある。ぶっとい木の根につかまって登っていく。

その後は、三歩進んで二歩下がる急斜面を四つ這いで登っていく。青谷東尾根はもう目の前。

青谷東尾根を10分ほどヨタヨタと登っていくと、青谷東第二尾根に出会う。すぐ先に3級基準点「№1139」がある。鉄塔まであと一息だ。

鉄塔下の「お一人専用」階段を登り、展望所から大阪方面を見ながら小休止。ここで昼食にしたいが、午後に向けて気温が下がり始めているのか、冷たい強風ではたまったものではない。そのまま下山することに。

鉄塔の西に延びる尾根に乗りたいが、直進は棘植物の密生で行く手を阻まれる。仕方ないので、少し登り返して、巻くようにして尾根にのった。振り返り撮影。

尾根に乗ってしまえば、快適な踏み跡が続いている。ただし、下るにつれ細かい枝尾根が沢山でてくるので、しっかりとルートファインディングはやっておきたい。

どんどん下っていくと、防腐処理をされたような柱や、板根のような巨大なつる植物が目じるしとなる。左手に大きな堰堤が見えるとゴールはすぐ。すでに、青谷道を行くハイカーの話し声が聞こえている。

尾根端に降り立つと、左は廃墟群で正面には青谷道に登る階段が見えている。コンクリートミキサーが捨てられていたり、この辺りも調べてみたくなる雰囲気。改めて、今後探索予定の支流取付きを振り返る。

亀の滝堰堤で身繕いをし、無事に下界に下っていく。この辺りからは近隣住民に配慮して、話し声を出さないようにと、つくばね会設置の看板がある。にもかかわらず、スイッチバックする地点で、ご婦人ハイカーたちが大声で「非常事態宣言」について語っていた。なんだかなぁ・・。

時間も早いので、気持ちを切り替えて昨年お世話になった白馬堂を訪ねることにする。店主のあさやんから、当ブログをよくみている方がおられると教えてもらう。こんな稚拙なブログでも、読んでいだけるなんて、本当に感謝しかない。逆に、旧ブログからの記事の引っ越しが、全然進んでいないことを申し訳なく思う次第。

あさやんに、グダグダとこちらの与太話にお付き合い頂いていると、昨年「六甲ローカルハイクディスカッション」に参加頂いた方が来店された。この方も、先日のハチノス大滝の記事をご覧になられたそうで、ロッコペリはその事についてあまりお話もできず、大変失礼したのでこの場を借りてお詫びしたい。申し訳ございませんでした。

合計距離: 2.85 km
最高点の標高: 429 m
最低点の標高: 112 m
累積標高(上り): 411 m
累積標高(下り): -385 m
総所要時間: 03:16:54
Download file: 210117_hijiri.gpx

●観音寺谷周辺の様子はこちらから

コメント

  1. 山本 より:

    神戸一中が県一高女と統合して神戸高校になったのは学制改革後の昭和23年のことなので、昭和13年に現在地に移転してから10年間は「一中」でした。
    記事中に「一中と呼ばれていたのは明治40年頃のお話」とありましたが、全国高校サッカーの歴代優勝校を見てください。神戸一中は大正・昭和に7回全国優勝していますよ。

    • rokkopelli より:

      山本様

      貴重なご意見ありがとうございます。
      全くもっておっしゃる通りです。当方神戸の歴史についてはまだまだ素人なため、Wikipediaの情報をそのまま載せてしまいました。

      そこには、統一する前の明治40年には”以降「一中」とも通称されるようになる。”との文言があったため引用いたしました。
      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E7%A5%9E%E6%88%B8%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1

      そうなると「一中西尾根」となるのは、当然昭和13年からになりますね。早速訂正させていただきます。
      山本様はサッカーにも明るいのでしょうか、神戸高校の優勝回数は素晴らしいものがありますね。
      先日の観音寺谷探索の折には、ラグビーの試合が行われており文武両道の伝統校の風格を感じ取った次第です。

      山本様には、これからも忌憚のない意見をいただければ幸いですので、どうそよろしくお願いいたします。
      ありがとうございました。