新アイスロード探索
~失われし新道探索は初回敗退~
2020年09月13日
以前からアイスロードを通るたびに「本当にこんな急坂を氷を載せて運んでたのか?」との疑問があった。今回、郷土研究誌「歴史と神戸」※1を読んで、その謎がようやく解けた。やはり、事故が多く明治24年12月に新アイスロードとして新道が整備されたようだ。記事には、谷筋を抜けるのではるかに安全に下れたとある。
その後、氷を運ぶこともなくなり、大水害を経て防災のため谷筋に堰堤が作られたのもあり、新道の方が消滅してしまったという歴史がある。そこで今回は、その新アイスロードのことを色々と下調べをして、失われし新道の探索に行ってきた。
結果は惨敗。
とはいえ、次回探索のヒントも得られたので、じっくりと作戦を練ってまた探索しようと思う。
新アイスロード探索2回目はこちら
【考察1】明治25年12月に開通した「新アイスロード」。明治45年の地図にはハッキリと書いてある。今日はこれを見つけに行く。ついでに水呑茶屋跡も探索。※2
【考察2】堰堤が無かった頃の写真にはハッキリとルートが確認できる。「新アイスロード」沿いに住居があるのが分かる。現在はそのほとんどが廃墟となっている。※3
【考察3】昭和初期の新アイスロードを行く人々。この撮影場所も確認したい。当時はまだはげ山のようだ。※4
雨の予報に反し当たらぬ天気予報に救われる。のんびりと、六甲ケーブルまでの坂を上る。道すがら、天狗梁が見えるのは二か所だけ。阪急六甲からケーブル下駅までは、急いでも急がなくても25分で到着する不思議。
環境省が綺麗な看板を設置していた。大月大橋からは探索予定の、長峰山東方の谷を観察する。
弁天滝の道すがらキレイな花やクズの花がいい香りを放っていた。来年の夏には、六甲川周辺を探索してみたい。
弁天滝の先で、不思議な黒い虫が集まっていた。これは大小3匹のアケビコノハ(蛾)の幼虫。アケビの葉を食べるので、その先をのぞいて見たが実は見つからなかった。秋には実がなるのだろうか。
進んで、新六甲大橋をくぐり、その先の交差点を直進し表六甲DWへ進んでいく。
最初のカーブの先がアイスロードの入口。結構なスピードで飛ばしてくる車に注意して車道を横切る。
さて、久しぶりのバリエーションルート。正装へチェンジ。山林用のスパイク地下足袋&脚絆を履くと気合いが入る。
いざ出発!橋を渡り右手に六甲架空索道の駅の廃墟を確認しつつ進んでいく。
いつものトワイライトゾーン。トンネルを抜け、違う時代に出たらどうしよう・・と、いつも思う。乱歩の読みすぎか。
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