【記念すべき?初登山は杣谷道から摩耶山へ】2014.09.14
神戸に住んで5年、知人の強い勧めで「登山」をする事になった。正直、裏山的な六甲登山なんて全く興味は無かった。公共交通機関で行ける所を、わざわざ歩いて登るなんて愚の骨頂とばかり、酔狂人の仲間入りには決してなるまいと思っていた。
当日、知人は阪急六甲から杣谷道登山口までは徒歩で行くと言う。
「市バスがあるのに・・・まあいいだろう」
実際、毎日のウォーキングで脚力・体力には自信があったし、たかが標高700mほどのハイキングとなめていた。
しかし、その自信は長峰坂に入ってすぐ木っ端みじんに吹き飛んでしまう。
たった100mほど標高を登っただけで、ふくらはぎはパンパンになり、あえぐような呼吸で気分は最悪、全く山用の体ではない事を思い知らされるのだ。
結局、摩耶山からは天狗道を下りハーブ園を抜け下山したが、あまりのふがいない自分に腹が立つとともに、山をなめていた事を猛省した。
今回は、のちにバリエーションルート好きになるロッコペリの「初登山」の山記録です。
10時に六甲駅を出発。
11時11分。杣谷川を徒渉して、摩耶堰堤に向かう途中の徳川道の案内に見入る。すでに左もも裏が痛いので押えながら歩いている。
この先の徒渉地点で、早くも大休憩をしたことを覚えている。
11時41分。杣谷道で有名な滝を見ているようだが、何を思っていたのかは覚えていない。
12時51分。杣谷峠からDWを歩いて掬星台に向っている。脚はすでに限界。もたれかかるように鈴蘭台方面を見ている。
13時26分。掬星台に到着。阪急六甲から、実に3時間30分もかかっている。この日、昼食はどうだったか全く覚えていない。
ただこの後、知人も下山ルートを知らずロープウェで降りようと言うので、「誰かの後に付いて違うルートで降りればいい」と、ロッコペリは虚勢を張ってしまった。
14時17分。辺りを見渡し、装備も貧弱で体力的にも弱そうな老夫婦についていく事にした。案内図からすると、老夫婦は天狗道を下るようだ。
ところが、歩きはじめてすぐにこの老夫婦はベテランのハイカーである事が分かる。とにかく追いつかないのだ。ロッコペリの脚はすでにボロボロ、そのうえ気持ちも折れているので当然追いつけるはずはない。
稲妻坂への分岐でもう体は限界。ほうほうの体で、ハーブ園にエスケープしゴンドラを目指す事に。
15時15分。ハーブ園を裏ドアから入り、ゴンドラ乗り場を目指すもその乗車賃の高さに驚き「目の前に新神戸がみえてる」と、徒歩で下山を決意。これが最後の地獄の苦しみとなる。
15時54分。脚を引きずりながら布引の滝まで来た。この後、どうやって新神戸に下山し市バスに乗ったかは覚えていない。
阪急六甲でバスの運転手に終着を告げられたものの、何かにしがみつかないと立てない状態。バスから降りる時のわずかな高低差に「ノンステップバスって書いてるのに、段差あるやないか!」と心で叫んでしまった。
【編集後記】2020.10.14
今では、バリエーションルート大好きハイカーになってしまったが、初登山はボロボロだったのを今でも覚えている。
この後のウォーキングは、山を意識して坂道を登るようにしたことも大きな変化だった。
知人からは野生児と呼ばれるロッコペリだが、全く山には無関心だったのに、この初登山をきっかけにのめり込んでいく事になるのだった。
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